脱原発アイドル 即表現に結びつかない現実

NONFIX原発アイドル」。
昨年深夜に放送されたものの再放送。
それぞれに違うベクトルの欲望がある。
アイドルは売れたい。アイドルの親や所属事務所の社長は売れて欲しいと思っている。脱原発のデモ会場にいる観客は、周りにいるくたびれた大人じゃない若い女の子が同じ脱原発の思想を持ってくれていて喜んでいる(このアイドルの脱原発の面にしか関心はない)。制服向上委員会の長年のファンはやっとのことで売れてくれて嬉しい。でも、これだけではない。ここに括れない欲望がある。子供の将来の就職を考えると、脱原発をうたうユニットには所属させておけないと脱退させる親がいる(そのメンバーは、グループにおいて人気ナンバーワンを争う子だ)。所属事務所の社長は、脱原発にもエネルギー政策にも関心がないことを明言する。長年の制服向上委員会のファンの中には、政治色の強さを受け入れられない者も多い。
分人主義など持ち出すまでもなく、人には様々な面があり、それぞれの顔でちがう考え方をしたりする。
バラバラなアイドルへのスタンス。そして、原発へのスタンス。
だが、原発へのスタンスは結構みんな似ている。「どう扱っていいかよくわからない」。
制服向上委員会のメンバー、事務所社長、作詞家(「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」)ら、表立って脱原発を主張する側の人達にとって、原発はよくわからないものである。歌として、又立場として脱原発を主張をしこそすれ、政治信条としての強さはない。
一方、それを受容する者達にとっては、脱原発は確固たる者だろう。わざわざ、演者でもないのに、脱原発の会場に足を運ぶのだから。
このアンバランス。
表現者は本来、強い思いの発露として表現するものと、おもわれがちだ。でも、それは、こと日本においては、年々減ってきているものなのかもしれない。
脱原発を表現したアーティストとして、七尾旅人斉藤和義、制服向上委員会がいた。桑田佳祐や、松任谷由実や、サカナクションや、Mr.Childrenや、浜崎あゆみや、倖田來未や、パフュームは、声はあげなかった。この政治と、表現のアンバランス。
実生活に起きている現状が、即表現に結びつかない感じ。
そのような、アンバランスをこそ許容しなければならない日本という空気に抗いたいという人も多いのだろうか。ダメってことじゃない。そういう空気と、実人生のある場というのは不思議だ。方法はわからない。

とても、面白かった。


メモ

作曲は、頭脳警察のメンバー。作曲は事務所の社長。

彼は、脱原発にもエネルギー政策にも興味が無いと語る。

子供をアイドルにした母親は、歌詞はあれだけど・・・という。


少女たちが意味をわかってなくても関係ないという。

雨宮処凛柄谷行人

しかし、元々制服向上委員会は社会問題への

へんなグループだねっと、学校の友だちに言われたのだという。

少女たちは原発に興味が無い、少女たちは売れたい(大きな脱原発会場で、歌詞を覚えてもらって一緒に歌ってくれたのが嬉しかったらしい)、社長はかつての全共闘時代の反復を望んでいる。

そこに、福島から来たアイドルになるのが3才から夢だった女の子が来る。

父親は、「それはそれでいい」という。みんなどこか他人事で、積極性に欠けている。

そして、日本全国の原発が停まった。

だが、少女たちは何もコメントしない。取材記者に「今日全部停止しました」と言われても、「なにもわからないんです」という。「難しいことはわからない」と。
ファンの一人は、政治色が強いのはよろしくないという。

SKiのメンバーの人気のひとりは、脱原発の歌がきっかけで、辞めた。
「就職の足かせになる」と言われ。
友だちにアイドル活動の話をしたら、惹かれてしまうのではないk。
そういえば、知識人の発言に絞ったドキュメントがあってもいいよな。

所属事務所社長の率直な弁。色んな人が色んなことを考えて生きている。

雨宮処凛